jueves, 25 de abril de 2013

「砂嵐の人」 




ある場合には運命 っていうのは、絶えまなく進行方向を変える局地的な砂嵐 に似ている。

君はそれを避け ようと足どり を変える。そうすると、嵐も君にあわせるように足どりを変える。君はもう一度 足どりをかえる。すると嵐もまた同じように足どりを変える。何度でも何度でも、まるで夜明け 前に死神と踊る不吉 なダンズみたいに、それが繰り かえされる。なぜかいえば、その嵐はどこか遠く からやってきた無関係 ななにかじゃないからだ。そいつはつまり、君自身 のことなんだ。君の中にあるなにかなんだ。 だから君にできることといえば、あきらめてその嵐の中にまっすぐ足を踏み いれ、砂が入れないように目と耳をしっかりふさぎ、一歩 一歩とおり抜けていくことだけ。そこにはおそらく太陽 もなく、月も方向 なく、ある場合にはまっとうな時間さえない。そこには骨 をくだいたような自く細かい 砂が空高く舞って いるだけだ。そういう砂嵐を想像 するんだ。
そしてもちろん、君はじっさい にそいつをくぐり 抜ける ことになる。そのはげし 砂嵐を。形而上的 で象徴的 な砂嵐を。でも形而上的 であり象徴的 でありながら、同時 にそいつは千の剃刀 のようにするどく 生身 を切り裂 くんだ。何人もの人たちがそこで血 を流す だろう。温かくて赤い血だ。君は両 にその血を受けるだろう。それは君の血であり、ほかの人たちの血でもある。

そしてその砂嵐が終わったとき、どうやって自分がそいつをくぐり 抜けて生きのびることできなのか、君にはよく理解 ができないはずだ。いやほんとうにそいつが去って しまったのかどうかもたしかしゃないはずだ。でもひとつだけはっきりしていることがある。その嵐から出てきた君は、そこに足を踏  みいれたときの君じゃないっていうことだ。そう、それが砂嵐というものの意味なんだ。

村上

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